冒頭、政次の最期のときを振り返り、つぎは井伊の居館で上座にすわる近藤の姿。そして悲嘆にくれる井伊家の一同。
なんとも悔しさがこみ上げる第34回です。 政次の存在がないことが巨大なブラックホールのように人々を飲み込んでいくようです。
そして、肝心の直虎は、すっかり正気を失った様子。政次を待ちながら、思いつめたように碁を打ち続けます。
いったいどうなってしまうんでしょうか。
<あらすじ★ネタバレ>
直虎(柴咲コウ)は、政次(高橋一生)の死という現実を受け入れられず、一人静かに碁を打ち続けていた。頭の中は、近藤の謀りごとが井伊の計画を狂わす以前にタイムスリップしていた。その謀りごとを前もって防ぐ方策を練り続けていたのだ。防げれば、政次を失わずに済んだのだから・・・。
直虎は、政次の辞世の句を渡され、ようやく何が起こったのかを思い出す。政次の最期の場面を。とりもどしたその記憶はあまりに悲惨で、直虎は打ちのめされ、悲嘆にくれる。
家康(阿部サダヲ)の軍勢は、今川氏真(尾上松也)の掛川城に迫っていたが、苦戦していた。大沢元胤(嶋田久作)の軍勢は、次々と徳川軍を襲い、気賀の町に、堀川城にも押し入ってきた。大沢勢は、気賀の民を戦に使って、徳川に抗戦する算段だった。
龍雲丸は、隠し港の船を奪い、囚われた気賀の民を船にのせようとしていた。大沢勢の抗戦にあいながらも民を解放して船にのりこませる。
方久(ムロツヨシ)と与太夫(本田博太郎)は家康に助けを求めていた。大沢勢を攻めて、民を助けるなら、自分たちの船を貸す、と。
家康は、船を使って民を助け出すことを約束するが、実際に、気賀に攻め入った徳川軍は、大沢勢のみならず、気賀の民、そして龍雲丸たちを見境なく倒していくのだった。
これまで、なんだかんだ言って元気いっぱいだった直虎さんですが、かつてないダメージを受けて、すっかり病人になってしまいました。
考えたくないあまりにひどい現実に耐え切れなくなってしまったんですね。見ている私ですら、もうその姿だけで涙がこぼれちゃいます。
今回の悲惨は、直虎だけでなく、方九と龍雲丸はじめ気賀の人々にも及びました。方久は方久なりにさっさと徳川に加担して生き延びようとし、龍雲丸も決して戦おうというつもりはなく「逃げてなんぼ」と言い放っていたのですが、なんと、あてにしていた徳川に攻め込まれ、助けるどころか、民や仲間たちを次々と殺されてしまします。
・・・そして、龍雲丸も背中から槍を受け・・・。
若々しい徳川家康は、軍を仕切っているものの、現場の武将たちを100%掌握していません。現場判断で、この理不尽な惨殺が繰り広げられました。実際の戦ってこんなものなのかな、と妙にリアリティを感じましたものの、これまで直虎たちが築いてきた、組織(仲間?)、町などが次々と破壊されていく悲惨な出来事でした。龍雲丸はどうなるのでしょう。何とか生き延びてほしいものです。
<辞世の句>by 政次さん
–白黒をつけむと君をひとり待つ 天つたふ日ぞ楽しからずや』
お前と決着をつけようと一人でまっている。最期の時をむかえるのも楽しいではないか、といった意味ですね。
興味深いのは、ダブルミーニング・・・。
「白黒をつける」とは、普通は最後の勝負の決着をつけること。
直虎さんにとっては「囲碁の勝負をすること」。それは政次と二人で過ごす楽しいときでした。
「天つたふ日」とは落ちていく入日のこと。井伊家がついに没落してしまうことでしょうか。それなら、「悪役」タジマの嘲笑、というスタンスですね。
また、自分が敗れて処刑されてあの世にいくことを意味しているのかもしれません。それでも、意味のある死であるから、幸せである、という意味がこめられていそうです。
さらに、「あまつたう日」は、「尼」に自分の考えが伝わる、とも読めます。今まで碁を打ちながら心を通わせた楽しい時間、それに、最後の二人の作戦、すなわち政次がすべての非をかぶって処刑されることによって井伊を守るという考えを今までのように直虎と共有できるなら、それほど楽しいことはない、とも読めます。
政次は、直虎が自分の心をすべて読んで、処刑の場に現れることをきっと予感して、心待ちにしていたのでしょう。
あるいはまた、自分は先にあの世へいって待ってるが、また、勝負をしよう、楽しみにしているという、特に直虎へのしばしの別れの言葉だったのかもしれません。
さすがは政次さんの辞世の句。直虎への個人的なメッセージと、直虎には読めますが、知らない人が見たら処刑を待つ人の最期の気持ちを詠っているにすぎないというもので・・・深いです。